九重の宿|温泉 [飯田高原の歴史]


川端康成と高田力蔵
               
ここ飯田高原に

「雪国」「伊豆の踊子」「古都」「千羽鶴」など

数々の名作を世に残しノーベル賞を受賞され

世界的にも著名な作家

川端康成の文学碑があるのをご存知ですか?

そして、どうしてここにそんのものが建てられたか

この文学碑が建てられたのは昭和49年7月

スウェーデン産の御影石に

「雪月花時最思友」

(雪月花の時最も友を思う)

と先生愛用の詩語の一節が刻まれています
               
川端康成 文学碑

川端康成 文学碑
川端康成と高田力蔵  川端康成先生の文学碑がここ飯田高原にあるのは

2度 川端先生がこの地を訪れたことがあるから

そして川端先生を

この飯田高原に連れてきてくださった方が

高田力蔵先生

高田先生は明治33年久留米市に生まれ

東京川端画学校洋画科を出られた西洋画家

戦前から平成4年92歳でお亡くなりになるまで

8回に及び渡仏し

ルーブル美術館などで

精力的に模写を描かれた画家です

   
高田先生は昭和20年

ここ飯田高原を知り

飯田高原の美に憑かれ

この高原の風景を

長年ひたむきに描き続けた画家でもいらっしゃいます

高田先生と川端先生の交流は

昭和6年頃から始まっていたようです

毎年九重を訪れていた高田先生は当時の大分県知事に頼まれ

古い付き合いの川端先生を大分の旅に誘うため

その頃描いたミヤマキリシマの絵7・8枚を持って

鎌倉の川端先生のお宅を訪られました

高田先生は絵をお見せして九重の美しいことを伝え

川端先生を大分県・九重へ誘われました

川端先生は最初は是非行きたいと

おっしゃってくださったそうです

しかし知事の招待と聞くと

「税金の旅は困る」と

いうお返事をなんとか説き伏せ、旅行が実現しました

高田力蔵先生 風景画
   高田力蔵先生 飯田を描く                
川端先生 九酔渓にて
                   川端先生 長者原にてて   
はじめて川端先生が大分を訪れたのが

昭和27年10月

9日間に渡る大分の旅は

別府に始まり、中津・耶馬渓・飯田高原

久住町・竹田・湯布院を回られました。

この旅を行うに際しての高田先生からの条件があり

地元の新聞記者が付きまとわないこと

地元流の献盃などの歓迎はしないこと

大分のことを書いて欲しいというようなことは

一切言わないことだったそうです

旅の終わり地元の人達の要望は黙し難く

伺うだけ伺ってみるということでした

大分を気に入ってくださったのか

川端先生は承諾してくださり

お書きくださることになったそうです
   
こうして翌昭和28年4月から

「小説新潮」に「千羽鶴」の続編として「波千鳥」

の連載が始まりました

川端先生は「旅の別離」(5月) 父の町(6月) 荒城の月(7月)と

3度にわたり、文子の手紙という形で

飯田高原から竹田町のことをお書きになりました

また同作品連載中の昭和28年6月

角川の講演旅行で長崎へいらっしゃった帰り

二度目となる九重へ立ち寄られました

ここでも法華院温泉に滞在中だった

高田先生は合流なさっています

ただ残念なことは東京の旅館で「波千鳥」の原稿等が盗まれ

「千羽鶴」の続編「波千鳥」は未完となってしまったことです

川端先生と九重の繋がりはそこで終わってしまいましたが

高田先生がその後何度か

九重を描いた絵だけの個展をされた時

川端先生が推薦状を書かれています(写真右)

九重のすばらしさと

それに勝る高田先生の九重への思いの強さを

切々と語っている文章に心を打たれます
波千鳥 父の町

   推薦状

   
若き日の高田先生

                   星生山

高田先生 自筆   
川端先生がここ飯田高原を訪れ

この地の美しさを感じ

作品を描いて戴けたことで建てられた文学碑

文学碑の開幕式には

川端先生の奥様 秀子夫人が見えられました

星生温泉をやり始めたのが昭和30年

川端先生は星生温泉に泊まられたことはありません

しかし、何故かとても身近に感じてしまうのは

きっと高田先生のおかげ

高田先生とは昭和30年代半ばより

長く深いお付き合いで

本当に頻繁に東京からいらっしゃって

四季折々の飯田高原・九重を

たくさん描いておられました

右下の絵の、ちょっとだけ建物が描かれているのは

星生温泉の旅館の一部なんですよ

東京の高田先生のお宅のアトリエにも

何度か行かせて戴き

模写の絵を見せて戴きました

先生のご長男の手記によると

先生はとても厳格で怖い方だったと描いておられますが

私の記憶には

とてもおおらかで優しい素敵なおじい様だった

という印象しか残っていません

高田先生は飯田高原を書きつくした

といっても過言ではない

飯田高原を心から愛してくださった画家であり

文豪「川端康成」をこの地に連れ出してくれた方です

   
写真及び資料提供 : 財団法人川端康成記念会 水原園博氏    
高田家